日経新聞「あすへの話題」 2015年7月29日

 8月5日はこの夏二度目の土用の丑の日だ。近頃はナマズを使ったかば焼きが人気と聞く。土用は一年に4回あり、立春・立夏・立秋・立冬の前日までの各18日間をいう。暦では季節の終りの期間だが、実際の生活感覚としてはその季節がたけなわの頃に当る。現在は夏土用だけが親しまれており、今年の土用も連日の猛暑が続いている。
 幼いころ、我が家では明治生まれの祖母が毎年梅干しを漬けた。土用に入ると塩漬けした梅を瓶(かめ)から出し、簾(すだれ)に並べて三日三晩の土用干しをする。土用干しをすると梅の皮がやわらかく美味しくなるのだと教えられた。夏ミカンなどわりにすっぱいもの好きだった私は学校から帰ると、時々、物干しの梅干しを2つほどつまみ食いした。そしてこともあろうにいたずらで種だけをまた簾の列に戻しておき「行儀が悪い」と叱られた。この時期になると祖母はよく、節があるようでないような「梅干しの歌」を口ずさみ「思えばつらいことばかり・・」の佳境と思われるあたりにくるといちだんと声が大きくなるように感じた。
明治時代の小学校の教科書に載っていたこの詩の一部を倉嶋厚さんの本から抜粋させていただく。「2月3月花ざかり、鶯鳴いた春の日のたのしい時も夢のうち〜塩に漬かってからくなり〜三日三晩の土用干し 思えば辛いことばかり それも世のため人のため〜皺は寄っても若い気で〜まして戦さのその時は 無くてはならぬこの私」
季節の巡りを織り込んでいろいろ食卓を楽しませてくれた祖母を思い出しながら、何でも手軽に入る現代、ふと、自分が何か大切な忘れ物をしているような気のするこのごろである。

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