日経新聞「あすへの話題」 2015年7月8日

今年はいつになく蛍を見に行く機会に恵まれた。
梅雨の季節特有の湿った空気のなか、あえかな光を明滅させて飛ぶ蛍は、はかなさの代表のように思われる。日本人は平安の昔から蛍が好きなのだとつくづく思う。死んだ女の魂ではないかと思ったり、光源氏が玉葛(たまかづら)の部屋にたくさんの蛍を放ったりと、蛍は物語や和歌、俳句にもよく出てきて、先人たちの蛍への思いを知ることが出来る。そして、しめやかな漆黒の闇をゆったりと飛ぶ蛍をながめていると、あの飛び方も、この空気感も、千年以上の昔となんら変わっていないのだと、時空を超えて優雅な気持になってくる。蛍といっても好まれるのは昔から「源氏蛍」に限られる。源氏蛍の命は成虫になってから7日〜2週間位でその間は露しか飲まない。露しか飲まない蛍が短い命をかけて相手を探し、子孫を残すために光を放つ。蛍の光はまさに命がけの愛のことばだ。昔、昆虫学者矢島稔さんが、蛍の光のプロポーズについて書かれた本を読んだことがある。メスに近づいたオスが、強く3回〜5回ピカーピカーと光を送り、2分間ほど繰り返す。その間メスは、OKの場合には一回だけ光り、嫌なら光を出さずに歩いてどこかへ行ってしまう。プロポーズの鍵を握っているのはメスなのだ。
また、源氏蛍の幼虫が川から岸に上陸して来るには、水温と天気の微妙な条件があって、当日雨で地面が濡れていることや、一年のうちで水温が急に上昇するころで、東京周辺では桜が満開の頃かそれ以降の夜という。
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
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