日経新聞「あすへの話題」 2015年11月25日

明日は満月である。冬至に近い冬の満月は、夏至のころに比べてかなり空の高いところを通り頭上近くから照らすため、煌々として、夏のちょっぴり頼りなげな満月やしみじみした秋の満月とは又違った趣きがある。
中国の清の時代の北京の年中行事記『燕(えん)京(けい)歳時記』の11月(旧暦)のところに「月当頭(月天心)」とあり、「11月15日には月が天の中心にかかり人の頭上に当る。もし満月だと塔影はその突端を現さず人の影もきわめて短い。子供達の物好きな者は必ず眠らずに月が中天にかかるのを待ち、階(きざはし)に出て影をうつしてそれを験(ため)してみる。」と記されている(東洋文庫)。眠い目をこすりながら夜なかまで起きて自分の影を確かめる昔の子供たちの素朴な好奇心をたまらなくかわいいと思う。私も長いこと月の影など全く忘れていたことに気がつく。
 日本にも「月天心貧しき町を通りけり」という有名な蕪村の句があって、この句を秋の句とするか冬の句とするかで異論があるようだ。家並みの低い貧しい町を照らす深夜の月光は、秋と冬では全く趣きが違う。情緒的でどこか甘さのある秋の月に比べて、冬の月には余分なものをそぎ落として向き合う突き詰めた深さがあるように思える。俳句で「月」といえば「秋」と決められ、他の季節の月をいう場合は「春の月」や「朧月」という風に季節を表すことばが必要である。歳時記で「月天心」は秋の部に入っているが、冬の季語が似合うのではと思う。
今年は、12月25日が旧暦11月15日に当り、真夜中の満月が1年で1番高度が高く明るい「月当頭(月天心)」となる。ご自分の影を確かめてみませんか?

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