日経新聞「あすへの話題」 2015年10月28日

菊香る季節である。菊花展では愛好家たちの丹精込めた大輪が美しい。花ことばは高貴、高潔。古来より中国では不老長寿の薬としてあがめられ、日本には奈良時代末から平安時代のはじめに遣唐使によりもたらされたという。
源氏物語の「紅葉賀(もみじが)」の巻に、若き光源氏が青海波(せいがいは)を舞う場面がある。源氏の冠にかざしていた紅葉が散ってしまったので、親友の左大将(頭の中将)が庭前の菊を折ってさしかえてさしあげるのだが、その白い菊が霜や露に当り紫色が染み出したのものだったのでいっそう美しく源氏をひきたてるというくだりがある。菊といえば切り花しか知らなかった私は、季節が進み霜や露に当った菊が自衛本能からアントシアニンという物質を出して寒さから身を守ろうとする事実を知らなかった。色素を出し白菊は紫色やピンクを帯びる。紫はまさに源氏の色である。その後私は八王子で小菊を栽培している方から花の根元が紫に変わった白菊をいただき納得した。当時は咲きはじめばかりでなく、咲き進んだ終り近くの菊の美しさを愛でる習慣があったとは・・私はこの感覚はいかにも日本的なものであるように思う。はらはらとあっという間に散って時のうつろいやもののあわれを感じさせるさくらに通じる一種の自然賛歌のような感覚である。
平安時代は小菊であって、現在のように大輪の栽培がさかんになったのは江戸時代に入ってからのようだ。ここでふと思うのだが、桜同様に日本を代表する菊花でありながら、菊はさくらほどには現代人の心をとらえていないように思われる。仏花のイメージがあるからか、輸入ものはじめ1年中あるからか?が、勝手なひとりよがりの想像を許していただけるなら、菊は江戸時代以来、余りにも完璧なまでに立派に美しくなり過ぎたとは言えないだろうか?日本人はの反対に、他の花より長持ちし葉が枯れても花はまだ誇り高く存在してどちらかといえば大陸的な落ち着きがある。
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