宮沢賢治が亡くなって82年になるが、気象という眼鏡をかけて彼の作品を読むととても興味深く面白いので、そのいくつかをご紹介したいと思う。
賢治といえば、昔から東北の人々を苦しめて来た「やませ」なしには語れない。やませは、夏にオホーツク海から渡って来る冷たく湿った北東の風だ。飢餓風(きがかぜ)とも呼ばれるこの風が長く吹くと、東北の太平洋側に冷害をもたらす。雨雲や霧を発生させ連日陽も射さず稲の生長を止めてしまうのだ。このやませで東北では昔からたくさんの人々が亡くなっている。病気よりも飢餓で亡くなる人の方が断然に多かったという。賢治が生まれ育った1900年ごろにも東北地方はたびたびひどい冷害に襲われている。家は裕福であったが、賢治は幼いころから農民の貧しさや苦しみを間近に見て育った。詩集『春と修羅(しゅら)』のなかの「稲作挿話(いなさくそうわ)」や「祈り」には、稲作と悪戦苦闘する生徒に向ける賢治のやさしい心の叫びや、暗たんたる気持で雨雲を見上げながらやませを歌った彼の張り裂けそうな心の痛みが伝わってくる。
当時はまだ暑さや寒さに強い稲の品種は改良されておらず、丁度日本で初めて冷害に負けないよう「陸羽132号」という品種が交配され、賢治は率先して農学校の生徒や農民たちに勧めていた。「農民を冷害から救いたい」これは賢治の短い一生を通しての、切なる願いであったと思う。それは「やませ」から農民を守ることでもあった。地球を駆け巡る風をはじめ、賢治の作品にはいろいろな風が出て来るが、彼の風への関心はこのやませという、冷害を引き起こす風への関心がきっかけではなかったかと思われてならない。